小さなコンプレックス
 今日の放課後、担任の先生に居残りを命じられた。美化係の僕は、学校の倉庫を片付けるように言われたのだった。
倉庫は何者かに荒らされていて、中はひどい有り様だった。 机は倒されているし、本は全部破られていて、あちこちに紙くずが落ちている状態だったんだ。
僕はそれをたった1人で片付けた。ジャージに着替えて、軍手をはめて、1時間以上もかけて綺麗に掃除をしたのだった。
すべてをやり終えた時には、さすがに少し疲れていた。だからトイレに寄った後、すぐに家へ帰るつもりでいた。


 学校のトイレは静まり返っていた。授業が終わって時間が経っているから、もうほとんどの生徒が帰宅していたのだろう。
男子トイレは入口の横に小便器が並んでいたけれど、それを無視して奥の個室へ向かった。
僕は皆で並んでおしっこをするのが大の苦手だった。だから学校でトイレに行く時は、必ず個室を使う事にしているのだった。
洋式便器のフタを開け、ジャージのズボンを下ろして、気持ちよく放尿する。
そんなイメージをしながら個室へ入ると、センサーライトがパッと床を照らした。トイレの床にはゴミなど見当たらず、ライトが当たってピカピカに光っていた。
それを見ると心が晴れて、気付くと鼻歌を歌っていた。美化係の僕は、床や壁が綺麗に保たれていると嬉しくなってしまうのだった。
気を良くした僕は、イメージ通りに便器のフタを開け、イメージ通りにジャージのズボンを下げようとした。
誰かが突然背中に抱き付いてきたのは、ちょうどその時だった。
「まだいたの? お前はもう帰ったと思ってたのに」
掠れた声が鼓膜を揺らした。その時はなんだかすっかり浮かれていて、トイレに人が来た事にさえ気付かずにいた。
僕を抱き締めたのは、隣のクラスの葉山くんだった。 彼はバスケ部に所属している。きっとこの時間まで、部活動に精を出していたのだろう。
「おしっこするの? 脱がせてあげる」
大きな手が、いきなりジャージのズボンに入り込もうとした。 僕はその瞬間に頬が熱くなり、ズボンを下ろされないように両手で必死に押さえた。
「どうして嫌がるの? 何か問題ある?」
背中の後ろで彼が不満そうな声を上げた。その時は黙っていたけれど、問題は大ありだった。
僕がトイレで個室を使うのは、小さなペニスを人に見られたくないからだった。中でも葉山くんには、どうしても見せたくなかったんだ。
「俺たち半年も付き合ってるんだぞ。おしっこぐらい見せてくれてもいいじゃん」
「ダメだよ。出て行って」
「俺のも見せてやるからいいだろ?」
「そういう事じゃないんだよ」
それからしばらく押し問答が続いた。僕はその間も小さな両手でジャージのズボンを押さえ続けていた。

 何度お願いしても、葉山くんは出て行ってはくれなかった。
そのうちに彼も強硬になり、力尽くで僕のズボンを引きずり下ろそうとし始めた。
僕は中2男子の平均以下の身長で、体の部位が何もかも小さい。一方彼はバスケ部で、僕より体がずっと大きいから、力で敵うはずなんかなかった。
それは当然分かっていたけれど、最後まで抵抗を続けた。
おしっこを我慢しながら力に抗うのは、容易ではなかった。それでもとにかくズボンを下ろされないように、精一杯の力で押さえていた。
大きな手が、あちこちから強引にズボンを下げようとする。後ろからも横からも、強い力で襲い掛かってくる。
彼がジャージを引っ張ると、ウエストのゴムが少し伸びてしまったような気がした。真っ白な便器は、しっかりスタンバイをして僕がおしっこするのを待っているように見える。
時間が経つにつれて、尿意がどんどん高まってきた。目の前に便器があるのに、放尿できないのが本当に辛い。
膀胱を引き締めながらズボンを押さえるのは、もはや自分との闘いだった。
おしっこがしたい。でも粗末なペニスは見られたくない。頭に同居する2つの思いは、延々と綱引きを続けていた。
僕は両手に力を込め、両足で踏ん張って、ずっとずっと耐えていた。
センサーライトは気まぐれで、点いたり消えたりするのを何度も繰り返した。
背中の後ろから、圧力を感じる。だんだん握力が弱ってきて、掌に汗が浮かんでくる。
それでもまだがんばった。歯を食いしばって、お腹に力を入れて、諦めない気持ちを強く持とうとしていた。
ところがある時、パンツがほんのりと濡れる感触を味わった。
小さなペニスは我慢ができず、自分の意思に反して放尿を始めようとしていたのだった。
もう無理だ。遂に観念して、僕は白旗をあげた。
仕方なく自らの手でズボンを下ろした時、ピカピカな床に水が数滴零れ落ちた。その時パンツには、しっかりとシミが付いていた。
慌ててペニスを洋式便器に向けると、やっとおしっこの行方をコントロールする事ができた。
ジョーッと低い音がして、残念な放尿が始まった。便器の中に勢いよく水が飛び込むのを、僕は呆然と眺めていた。
「抵抗するから漏れちゃったじゃん」
囁くように彼が言った。
ここまでがんばったのに、小さなペニスも濡れたパンツも、肩越しに見られてしまった。
僕のは多分、彼の小指ぐらいの大きさだ。きっと葉山くんも、そう思っているだろう。
こんな時に限って、おしっこがなかなか止まらない。
せめて明かりを落としてほしいのに、センサーライトはそれから一時も消えずにすべてを照らし続けていた。

 しばらくすると放尿が終わって、僕は素早くズボンを上げた。
ずっと背中の後ろにいた葉山くんが、その時初めて目前にやってきた。彼はバスケ部が使うビブスを着ていた。胸に4と書いてあるのは、多分ポジションの番号だった。
彼は複雑な顔をしていた。細長い目は瞬きを繰り返し、頬を緩めて笑顔を作ろうとしても、ちっとも笑えず困っているようだった。
そんな彼に見つめられると、急に涙腺が緩んだ。涙が薄く溢れ出て、彼の顔が微かに歪む。
「パンツ濡らしちゃっただろ? 脱がせてあげるよ」
さっきと同じように、大きな手がジャージのズボンに入り込もうとした。
もうどこにも力なんか残っていないのに、僕は反射的に両手でズボンを押さえてしまった。
葉山くんは、その様子を見て深くため息をついた。黒い髪をかき上げ、眉間にシワを寄せて、困惑した表情を見せている。
「俺に触られるの、そんなに嫌なの?」
きつい目をして睨まれても、首を振る事しかできなかった。
センサーライトが、涙の向こうで強い光を放っている。
「じゃあどうして抵抗するの? 俺の事嫌いになった?」
違う。そんなんじゃない。君には何も問題はない。これは僕自身の問題なんだ。
葉山くんは、ふくよかな唇をきゅっと結んで僕の言葉を待っていた。
このまま黙っていても、彼は納得してくれない。僕が訳を話すまで、きっとここから出してくれない。
半年間付き合って、彼の性質はよく分かっていた。だから僕は、胸の内を明かすしかなかった。
「僕のは小さくて、ずっとコンプレックスだった。だから絶対見せたくなかったんだ」
とうとう本音を打ち明けたけれど、きっとバカだと思われた。
おもらしするまでペニスを隠し続けるなんて、誰が聞いてもそう思うに違いない。
でも、ずっと悩んでいたんだ。葉山くんと付き合い続けて、恋人としての一線を超える時、彼をがっかりさせてしまいそうで不安だったんだ。
右腕の横に壁があって、そこは少しひんやりしていた。鼻をすすって俯くと、床の上の水滴が目に映った。
それは僕が失敗した証しだった。
つまらない意地を張って、恥ずかしい事をしてしまった。そう思うと悲しくて、またじわっと涙が溢れてきた。
頬に流れる涙を、両手で拭った。こんな事になって、もう自尊心がボロボロだった。

 そんな時、葉山くんが僕のズボンを膝まで下ろした。その時は一瞬の隙を突かれてしまい、まったく対処ができなかった。
下半身を晒したまま、逞しい腕に抱き締められた。彼のビブスは、涙を吸い取ってくれた。
「心配するな。俺が大きくしてやるよ」
耳の側で彼が言った。
大きな手が股間を覆って、思わずビクッとした。
ペニスにかかった指が、小刻みに揺れ動く。その衝撃に体が震え、僕は自然と目を閉じた。
彼の手の中で、小さなペニスは少しずつ膨らんでいった。
最初は戸惑いと羞恥心に圧倒された。でもそれは、すぐに遠くへ消え去った。ペニスが刺激されると、すごく気持ちが良かったからだ。
親指の腹で先の方を撫でてもらうと、全身に稲妻が走った。
じっとしていられなくて、体が何度も前後に揺れる。そのたびに、軽くめまいのようなものを感じた。
葉山くんの指は時々予期せぬ動きを見せ、そのたびに新鮮な快感が襲い掛かってくる。
優しく擦ってもらうと、無上の喜びを感じた。激しくしごいてもらうと、体の感覚が麻痺した。
それは今までにない味わいだった。体がとろけそうなほど、心地のいい体験だ。
「あぁ……ん」
恥ずかしい声が口から漏れた。
体温の上昇と共に、興奮が高まっていく。雪崩のように快感が押し寄せて、腰が砕け落ちそうになる。
息が上がって、心臓がドキドキして、意識が朦朧としてきた。膨れ上がったペニスの中で、何か変化が起きようとしている。
フィニッシュの瞬間はもう近い。僕の体が痙攣を繰り返した時、彼はそれを察したようだ。
「出ちゃう?」
「……うん」
小さく頷くと、葉山くんはすぐにトイレットペーパーを巻き取った。 ペーパーホルダーがカランカランと音を立て、個室の中が急に賑やかになった。
僕は今度は失敗せずに済んだ。ペニスに当てられた紙に、漏らさす射精する事ができたんだ。
すべてを吐き出すと、体がぐったりした。
彼は僕の心が落ち着くまで、ずっと体を支えてくれていた。

 薄く目を開けた時、葉山くんは微笑んでいた。高い鼻のてっぺんが、何故だか少し光っている。
「ちゃんと大きくなっただろ?」
そう言われると恥ずかしかった。でもその時、僕の小さなコンプレックスは少し解消していた。
「余計な事は考えるなよ。俺はそのままのお前が好きなんだ」
細長い目が、僕をじっと見つめている。
彼は嘘が苦手だ。それを知っているから、その言葉はすごく嬉しかった。
「俺、少し髪を切りすぎたかな?」
葉山くんは、短くなった前髪を強く引っ張るような仕草を見せた。
その時即座に首を振った。僕もそのままの彼が好きだから、髪型なんて気にしてほしくなかった。
それからは、葉山くんのする事に一切抵抗しなかった。
センサーライトは、最後まで僕たちを照らし続けていた。
便器の中には射精の処理をしたトイレットペーパーが捨ててあった。葉山くんはそれを水で流して、そっとフタを閉めた。
彼が濡れたパンツを足首の所まで下げると、素直に足を抜いた。
丸めたパンツをゴミ箱に投げ入れ、僕のズボンをサッと上げて、床の水滴は足で蹴散らす。
僕の失敗を笑ったりせず、そんな事を苦もなくやってくれて、すごく感謝していた。汚れた床もすっかり綺麗になって、美化係としてもほっとした。
「これからバスケ部の練習を見においでよ。部活が終わったら一緒に帰ろう」
すべての後始末を終えると、明るい声で彼が言った。その時僕は、心も体もすっきりしていた。
「帰りは俺の家に寄ってね。そこでさっきの続きをしよう」
思いがけない誘いに、また心臓がドキドキしてきた。
彼のメッセージを、重く受け止めた。2人は今日、恋人としての一線を超えようとしているのだった。
「チューして」
甘えるように抱き付いて、キスをねだった。それが彼の誘いに対する僕の答えだった。
静かに唇を重ねた時、この人を好きになって良かったと思った。高い鼻も、細長い目も、切りすぎた髪も大好きだ。
「もう行かなくちゃ。あまりサボると先輩に怒られるんだよ」
キスの余韻を楽しむ間もなく、彼が個室のドアに手を掛けた。
それからすぐ出て行くのかと思ったのに、突然思い出したように言葉を続けた。
「念のために言っておくけど、俺のはでかいぜ」
一瞬、時が止まった。本当に短い間だけ、静寂がその場を支配した。
呆然とする僕を尻目に、口を歪めて彼が笑った。
僕はその時、葉山くんの家へ行くのが少し怖くなってしまった。
END

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