独白 前編
 中学2年の時、5日間ぐらい義男さんの店を手伝いに行った事がある。
義男さんは父さんの友達で、スモールキッチンという名の小さな洋食屋を営んでいた。 そこは夫婦2人で切り盛りしていたわけだけど、奥さんがぎっくり腰で一時期店へ出られなくなってしまったのだ。
それを知った父さんは、僕をその店へ手伝いに行かせた。
そんなわけで、午後4時から数時間の間、ひたすら皿洗いをする日が続いた。 仕事は少しきつかったけど、毎日バイト代として5千円をもらえるのがとても嬉しかった。

 その頃僕は学校が終わると、いつも電車に乗って義男さんの店へ向かった。
スモールキッチンは、街の中心部から少し離れた場所にあった。最寄りの駅からは、大体歩いて10分ぐらいだ。
あれは多分、手伝いを始めて3日目だったと思う。僕はその日、店へ行く途中になんとも不思議な光景を見たのだった。

 スモールキッチンの側には巨大な団地があった。白くて大きな建物が、どこまでもどこまでも続いていたのだ。
夏が近付いてくる時期だったので、団地の横の公園には薄着をした子供たちの姿が目に付いた。
ブランコが揺れ、シーソーは傾き、芝生の緑が風に揺れる。小さな子供のはしゃぐ声が、どこからともなく聞こえてくる。
そんなのどかな景色の向こうに、真っ白なベンチが見えた。その隅に座っていたのが、忘れもしない彼女だった。
その人は、僕の目からは30歳ぐらいに見えた。でも実際は、もう少し年を重ねていたのかもしれない。
茶色の髪は、腰のあたりまで伸びていた。強い風の影響で、時々スカートがフワッと捲りあがる。 そうすると、真っ赤なパンティーが丸見えになった。 でも彼女はそんな事は気にも留めず、隣に寝かせた人形の頭を何度も何度も撫でていた。
人形の大きさは赤ん坊と同じぐらいで、それは黒い洋服を着せられていた。
彼女の目は、どこか虚ろだった。唇はカサカサで、全然化粧っ気のない顔だ。
その姿からは、まったく生気が感じられなかった。
体はひどく痩せていて、腕も足も棒のように細い。微笑むわけでもなく、怒るわけでもなく、彼女は何の感情も持たずにそこにいるようだった。
公園にいる人たちは皆どこか楽しげだったのに、その人の周りだけは灰色の空気が漂っているように見えた。
しばらく様子を伺っていると、ある時彼女が人形の半ズボンをそっと脱がせた。
その時僕は、その人形が白いオムツを身に着けている事を知った。 彼女はそれをゆったりとした動作で剥ぎ取り、新しいオムツと交換していた。
あの女の人は、人形を自分の子供だと思い込んでいる。
彼女の事情はまったく知らなかったけど、その事だけは中学生の僕にもよく分かった。

 僕はスモールキッチンへ着くと、義男さんに公園で見た光景を洗いざらい打ち明けた。
その時は、見てはいけないものを見てしまったような気分だった。 その思いを自分1人では抱え切れなくて、すぐに誰かに話したかったのだ。
しかしその話を聞いても、彼は全然驚かなかった。義男さんは、僕が公園で見た女の人の事を知っていたのだ。
「あの人は、そこの団地に住む奥さんだよ。体が弱いせいかなかなか子宝に恵まれなくて、心を病んでしまったらしいんだ」
僕は仕事の準備を始めながら、義男さんの声を漠然と聞いていた。
その日はずっとぼんやりしていて、皿を2枚も割ってしまった。

 スモールキッチンでの手伝いは、金曜日の5時頃に終わりを告げた。 義男さんの奥さんのぎっくり腰が治って、その時間から店へ出てきてくれたからだ。
最後の日は1時間しか仕事をしなかったのに、いつも通りに5千円を受け取った。 それからおいしいオムライスを食べさせてもらい、僕は大満足をして店を出た。

 外へ出ると、夕日がとてもまぶしかった。
オレンジ色の空を見るのは久しぶりだった。店を手伝うようになってから、夕日が漂う時間はいつも皿洗いに没頭していたからだ。
団地の側に差し掛かると、そこいら中からおいしそうな香りがしてきた。
どこの家も、そろそろ夕食の時間だったのだろう。公園に人の姿が少ないのも、きっとそのせいだった。
僕はすこぶる上機嫌で、鼻歌を歌いながら駅へ向かっていた。
ところがある時、自然にピタリと鼻歌が止んだ。それは、公園のベンチにポツンと腰掛けているあの人形を見つけてしまったからだった。
人形は1人ぼっちで、付近に彼女の姿はなかった。だけど、彼女のものと思われる巾着袋が人形の横に確かに置いてあった。
まだブランコで遊んでいる子供が何人かいたけど、誰もそれには見向きもしない。
僕はその時、急に胸騒ぎを覚えた。
ガリガリに痩せた彼女は、あの人形を自分の子供のように可愛がっていた。 なのにその子を置いてどこかへ行ってしまうなんて、どう考えてもおかしいじゃないか。

 それから僕は、急いで人形に駆け寄った。
その人形は坊ちゃん刈りで、頬が丸くて、目は透き通るような茶色だった。 オーバーオールを身にまとい、口許は軽く微笑んでいて、とても可愛らしい人形だ。
「ママはどこへ行ったの?」
当然だけど、彼は何も語ってはくれなかった。表情も一定しているし、突然動き出すような事もない。
冷静に人形の姿を見つめた時、僕は不意に思った。
もしかすると、彼女は彼が人形である事に気付いてしまったのではないだろうか。 ずっと自分が生んだ子供だと信じていたのに、何かの形でそうではない事が分かってしまったのかもしれない。
だとしたら、きっと絶望したに違いない。 人はそんな時、どうするのだろう。彼女は彼を残して、いったいどこへ行ってしまったのだろうか。
「坊や?」
右手の方から声がして、僕は一瞬ドキッとした。
声の主は、前にそこで見たあの女の人だった。彼女は白いスカートをヒラヒラさせながら、ゆっくりとこっちへ近付いてきた。

 人形の前で彼女と向き合った時、僕はとても恥ずかしい思いがした。
随分と勝手な妄想を描いてしまって、自分がすごくバカみたいだった。
小柄な彼女は、じっと僕を見上げていた。間近で見ると、所々に顔の小じわが確認できた。
浅黒い肌にハリはなく、頬はひどくこけていて、相変わらず表情が乏しい。 彼女はいつの日からか、すべての感情を捨て去ってしまったのかもしれない。

 そんなふうに思った時、カサカサな唇がわずかに動いた。
僕は彼女の笑顔を初めて見た。唇と頬の肉が上を向くと、見事に顔中がしわくちゃになってしまった。
驚く事に、それは少女のように屈託のない笑顔だった。 数え切れないほどのしわが寄っていても、子供のように純粋に、嬉しそうに、心から微笑んでいるように見えたのだ。
「どうもありがとう。私の坊やと遊んでくれたのね?」
静かな口調だった。上品で、儚げで、とても耳障りのいい声だ。彼女はきっと、育ちのいいお嬢さんだったに違いない。
「良かったら、家へ寄ってくださらない? お礼に夕食をご馳走するわ。ほら、坊やもあなたともっと遊びたいって言ってるし」
彼女はそう言って人形に目をやった。
僕はその時、どうしてのこのこと誘いに乗ってしまったのだろうか。

*   *   *

 彼女はその後、大事そうに人形を抱えて僕を家まで案内した。
そこは団地の最上階で、居間のベランダからは公園が見渡せた。オレンジ色の空の下は、すべてがその色に包まれていた。
「ごめんなさいね。散らかってるでしょう?」
彼女はそう言ったけど、その部屋には埃1つ見当たらなかった。 テーブルもソファーもピカピカで、異常なほど綺麗に片付いていたのだ。
「座って待っててくださいね。すぐに食事の準備を始めますから」
僕は言われるままにソファーに腰掛けた。
彼女は僕の隣に人形を寝かせてから、一旦奥の方へ引っ込んでしまった。
スモールキッチンで食事を済ませてきた事は、もうすっかり忘れていた。

 彼女はあっという間に戻ってきた。その時には、右手にオムツを握り締めていた。
「坊やのお世話を先に済ませるわ。もう少しだけ待っててくださいね」
彼女はソファーの前にちょこんと座って、人形のオーバーオールを素早く脱がせた。
彼は前と同じようにオムツを身に着けていた。それをそっと剥がすと、彼女は独り言のようにつぶやいた。
「まぁ、オムツがびっしょり濡れてるわ。いっぱいおしっこが出たのね……」
すっかり彼が裸にされた時、僕はその人形がすごく良くできている事を知った。
膝は人間と同じように曲がるし、指先には爪が光っていた。そして、豆粒のようなペニスがちゃんと付いていたのだ。
しかもオムツは本当に濡れていた。どんな仕掛けでそうなっていたのかは、未だによく分からないけれど。
「お腹がすいたの?」
オムツを新しいものと交換した後、彼女が彼にそう言った。
その時はもうさっきまでの笑顔が消えていて、最初に見た時の、まったく表情のない顔に戻っていた。

 その後僕は、度肝を抜かれた。
なんと彼女は、ブラウスのボタンを外してモロに胸を曝け出したのだ。
「ママのおっぱいをあげるわ。上手に飲むのよ」
オムツを着けた人形が、彼女の細い腕に抱かれた。微笑むだけの唇が、ピンク色の乳首にそっと触れる。
その後彼女は小さく人形を揺らし、胸の先端を唇の尖った部分に擦らせた。
「あぁ……ん」
乳首はすぐにツンと立ち上がった。人形の唇がそれを弾くと、上品な喘ぎ声がわずかに彼女の口から漏れた。
恐らくそれは、心を病んでいる女の自慰行為だったのだ。
彼女は人形を自分の子供と思い込んでいて、しかも彼を溺愛している。その坊やに愛撫してもらう事は、この上ない喜びなのだろう。
それが分かった時は、背筋が凍りついた。
彼女は正気ではないのだ。
この異常な現実から逃げ出さないと、自分までおかしくなってしまいそうな気がした。

 今すぐここを出よう。僕はそう思って立ち上がった。
しかしその時、想像もしていない出来事が起こってしまった。
長い髪を振り乱して、彼女が僕に圧し掛かってきた。その瞬間に腰が砕け、床に倒れ込むのと同時に頭を強打してしまった。
表情のない顔が目前に迫り、茶色の長い髪がすべての景色を覆い隠す。
あまりに怖くて目を閉じると、激しい頭痛に襲われた。
僕の口はカサカサな唇でフタをされ、息が苦しくて、胸も苦しくて、自分の体が自分のものではなくなったような感覚に陥った。
本当にその時は、体が思うようにならなかった。 彼女を突き飛ばして逃げたいのに、恐怖のあまりほとんど動く事ができなかったのだ。
ズボンを脱がされ、パンツを下ろされ、胸やお尻を触られる。その指の感触は、いつまでもいつまでも肌に残った。
口のフタがやっと外され、急いで空気を吸い込む。でもその付近には、新鮮な空気などどこにもなかった。
「坊や、可愛いわ」
彼女の息が耳に触れ、体がとても寒くなる。
この世に恐怖失禁という現象がある事は知っていたけど、どんな時にそれが起こるのかは考えた事もなかった。
しかし僕は、それを身をもって体験した。
あまりにも怖くて、体が震えて、知らないうちにおもらしをしてしまったのだ。
ジャーーーーーッ
僕が気付いたのは音が先だった。その音を聞いて、初めておもらしした事を自覚した。
彼女はずっと僕の上にいたから、散々おしっこを浴びたはずだ。それでもちっとも怯まずに、小さく鼻で笑ったのだった。
まぶたの向こうの彼女は、いったいどんな顔で笑っていたのだろう。 少し前にそうしたように、子供のように純粋に、嬉しそうに、心から微笑んでいたのだろうか。
「坊やったら、またおしっこしちゃったのね。でも構わないわ。ママがちゃんと始末してあげますからね」
そう言われて、やっと分かった。彼女は今度は僕を自分の子供だと思い込んでいたのだ。

 どこにどうやって飛び散ったのか知らないけど、腕や足がおしっこで濡れていた。
ただでさえ空気が悪いのに、アンモニア臭を鼻に感じて息を吸うのが嫌になった。
おもらしが済んだ後は、しばらく不気味な沈黙が流れた。その静けさは、僕を一時冷静にさせた。
急におもらしした事が恥ずかしくなり、耳が燃えるように熱くなった。
しかも僕は、人におしっこをひっかけたのだ。これだけの失態を演じれば、恥ずかしくなるのも当然だった。
しかし羞恥心に浸っている暇はなかった。彼女がモゾモゾ動いたかと思うと、突然体に稲妻が走ったのだ。
何かがペニスに触れていた。温かくて、小刻みに動く、まるで生き物のような何かが。
信じたくはなかったけど、それは彼女の舌だった。
こんな事をされて、僕はすごくショックだった。キスもフェラチオも初体験なのに、こんな形で行われてしまったのだから。
でもそれ以上にショックだったのは、彼女の舌で感じてしまった事だ。
根元の方から先端に向かって、何度も何度も舌が移動する。そのたびに体がビクッとして、一気にペニスが硬くなってくる。
あっという間にそれが立ち上がると、彼女はしゃぶりつくようなフェラチオでとことん僕を愛撫した。 ペチャッペチャッ、と聞こえてきたのは、唾液と舌が絡み合う音だ。それがどれほど異常な現実であろうとも、死ぬほど気持ちがいいのは真実だった。
「あぁ……!」
とても黙ってはいられず、すぐに大きく喘いでしまった。体の奥から湧き上がる汗が、肌をしっとり湿らせた。

 自分の名誉のために言っておくけど、こんな事をされるのは本当に嫌だった。 多くの人がそうであるように、こういう事は好きな人とやるべきなのだ。
ただ心とは裏腹に、下半身だけは彼女を受け入れていた。
僕は、ペニスに舌が触れる感触がたまらなく好きだった。それは否定できなかったけど、そんな自分を肯定するのも嫌だった。
「もう……やめて」
震える声で訴えたのは、僕の感情がそうさせたのだろう。
正気とはいえない女にペニスをむさぼり食われ、それで射精するような事があったら、自分が壊れてしまいそうだった。
それでも体は言う事を聞いてくれず、舌がペニスを這うたびに、その感触に歓喜した。
僕には徐々に射精が近付いているのが分かった。恐怖失禁を体験した時は、尿意にまったく気付かなかったのに。

 新たな展開があったのはそれからすぐ後の事だった。
舌の余韻がまだ冷めないうちに、彼女が少し腰を浮かせ、いとも簡単に僕のペニスを体の中へ取り込んだのだ。
実はその瞬間が1番の地獄だった。好きでもない人と体を1つにする事は、これ以上ないほどの苦痛だった。
彼女が激しく腰を振り、否応なく体が揺さぶられる。
僕はすっかり絶望していた。真っ暗な視界に光が差す事は、もう2度とないように思えた。
硬くまぶたを閉じていても、涙がどんどん溢れ出す。
僕があっさり射精を許したのは、決して気持ちがよかったからではない。ただ一刻も早く、こんな事を終わらせたかったからだ。


 その事があってから、僕は女性恐怖症になった。
しばらくの間は母さんと目が合うだけでも嫌だったし、同じクラスの女子と話すのも苦痛でしかなかった。
そういう訳で、僕の恋の相手はいつも男だった。その相手は同級生だったり、友達の兄さんだったりと、いろいろだ。
でもその恋が実る事は1度もなかった。
僕が好きになる男は、当たり前のように女を愛した。そして自分は、告白すらできずに終わるのが常だったのだ。
後に彼女は子供を生んだらしい。ある時義男さんがそう言っていた。それを聞いた時は、何故か妙にほっとしたものだ。
僕がセックスを体験したのは、あの1回きりだった。
好きな人と結ばれる喜びを知る事もなく、やがて僕は大人になった。
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