いつも一緒
「オネショしちゃった」「僕も」
これが僕たち兄弟の朝の挨拶だった。
6畳の寝室の約半分を占めている大きなダブルベッド。僕と夏樹は小学生の時からずっとこのベッドを2人で使い続けてきた。
足には傷が付いているし、少し動けばギーギーうるさいけど、それでも長い間使い続けているベッドには愛着があった。
「起きようか」
「うん」
夏樹の言葉に僕がうなずき、2人同時にベッドの上で上半身を起こす。 それから僕たちはアイコンタクトを交わして2人同時に掛け布団を蹴る。するとシーツの上にでき上がった2つの地図が露になる。
「祐樹の地図の方が大きい」
「嘘だ。夏樹の方が大きいぞ」
僕たちはこうしていつも自分たちの描いた地図の大きさを見比べるのだった。
僕と夏樹は双子の兄弟だ。僕らは姿形も一緒だし、オネショをする周期も一緒だった。 小学生の頃は3日に一度。でも中学生になってからはその周期が5日に一度に変わっていた。
きっとそのうち2人同時にオネショをしなくなる。僕は昔から漠然とそう思って生きてきた。
僕と夏樹は見分けがつかないほどよく似ていた。丸くて大きな目や薄い唇、それに顎のとんがり具合も同じだ。 身長も体重も、前髪に少し癖があるのも、本当にクローンのように一緒だった。
だけど中学1年の秋頃、僕たち2人に微妙な変化が訪れた。学校で身体測定をした時、僕の方が夏樹より1センチ背が高かったんだ。
その事を知った時、夏樹はちょっと不機嫌になった。僕の身長は160センチ。そして夏樹は159センチ。 この差は彼にとってすごく大きなものだったのかもしれない。
でも実際それはたった1センチの話だったし、身長や体重は量った時の状況によって多少の誤差が生じるものだ。夏樹もその事はよく 分かっていたから、彼の機嫌はすぐに回復した。
でもその翌朝僕たち兄弟にもっと決定的な変化が起こってしまい、それから夏樹は少しずつ元気を失っていった。
朝の光を感じて目が覚めた時、目覚まし時計の針は7時10分をさしていた。
その朝は、いつもより少しだけ涼しく感じた。体をひねって寝返りを打つと、寝ぼけ顔の夏樹と目が合った。
「おはよう」
僕は彼にそう言おうとして口を開きかけた。でもそれより先に夏樹が例のセリフを口にしたんだ。
「オネショしちゃった」
「……え?」
その時の夏樹は、まさしくオネショをした朝の夏樹だった。彼はオネショをした朝いつも少し頬を染めて恥ずかしそうにその報告を口にするんだ。
夏樹の報告を聞いた僕は、慌てて自分のパジャマのズボンに手を入れた。 でもその時はパジャマもパンツも乾いていたし、お尻の下をまさぐってみても、シーツが濡れている気配はまったく感じられなかった。
「オネショしたの、僕だけ?」
夏樹は僕の様子を見てちょっと悲しげにそう言った。ブラインドの隙間から入り込む朝日が、そんな夏樹の顔を斜めに明るく照らしていた。
僕たち兄弟はどういうわけか13歳にして初めてすれ違ってしまった。
それまでの僕たちはお腹がすく周期も一緒だったし、トイレに行きたくなる周期もほとんど一緒だった。
ところが僕のオネショは突然ピタッと止まったのに、夏樹だけは相変わらず定期的にオネショを繰り返していた。
今までそんな事はなかったのに、夏樹は1人でオネショをするたびに涙を流すようになった。 僕はそんな時どうやって彼を慰めたらいいのか全然分からなかった。
そんな日々が1ヶ月続いた時、夏樹は大きな決心をしたようだった。彼はある夜突然 「今日から1人で寝る」 と言い出したんだ。
それは10月最後の金曜の夜の事だった。
僕たちは茶の間で一緒にテレビドラマを鑑賞し、それからいつものように2人揃って寝室へ向かった。 すると部屋へ入った途端に彼がそんな事を言い出したのだった。
「僕、奥の部屋で寝るから」
夏樹はそんなふうに言葉を続けた。
蛍光灯の白い光が浮かない彼の顔を静かに照らしていた。 棚に飾ってあるクマのぬいぐるみが、真っ直ぐに向き合う僕たち2人の姿をじっと見つめていた。
この時僕らは2人とも青い色のパジャマを着ていた。 別に2人で相談したわけではなかったけど、その日はきっと青いパジャマを着たくなる周期だったんだ。
「そんなの嫌だよ」
僕は正直に思った事を口にした。小さい頃からずっと2人で寝ていたのに急に1人になるのはどうしても嫌だった。 そんなの、淋しいから絶対に嫌だった。
「だって……僕、またオネショするかもしれない」
夏樹は俯き、蚊の鳴くような声でそう言った。
彼は今にも泣き出しそうな顔をしていた。唇をきつく噛み締めているのは涙を堪えている証拠だった。
夏樹がそんなふうだと、僕もひどく落ち込んだ。自分にそっくりな彼が悲しそうな顔をしていると、僕も悲しくなってしまうんだ。
「そんな事気にしなくていいよ」
「僕嫌なんだもん」
「何が?」
「僕だけオネショするのが嫌なんだもん」
夏樹の声は更に小さくなっていった。彼がそういう気持ちでいる事は、前々からよく分かっていた。
僕は夏樹の考えている事ならなんでも分かった。彼は自分だけ置いていかれたような気分になっていたんだ。 僕が急に大人になったように思えて、2人の距離が遠く離れていくように感じていたんだ。
でも僕は彼にもっと近づきたいと思っていた。
僕たち兄弟は昔からすごく仲良しで、いつも一緒にいた。夏樹がそばにいないと、僕はいつも不安だった。 僕が夏樹を思う気持ちは、恋する気持ちとよく似ていた。
「僕は夏樹とずっと一緒にいたい」
その言葉を言う時、思いがけず涙声になってしまった。
別々の部屋で寝るようになったからといって夏樹が遠くへ行ってしまうわけではないし、僕たちが仲のいい兄弟である事に変わりはない。 それはよく分かっていたけど、僕は彼と離れて眠るのがどうしても嫌だった。
僕たち2人は感情の起伏がよく似ていた。
僕にはその時、夏樹も自分と同じ事を考えているという確信があった。
夏樹は長くなりすぎた前髪をそっとかき上げ、唇を噛んだまま濡れた目で僕の顔をじっと見つめた。その時、僕の欲求が頂点に達した。
「夏樹とキスがしたい」
心の中でそう叫んだ時、彼がゆっくりと僕に顔を近づけた。同じ質感の唇が重なり合った時、僕の体は急激な変化を遂げた。 恐らくそれは、夏樹も同じだった。
真っ白なクマのぬいぐるみは、僕らのファーストキスをじっと観察しているようだった。
僕たちはもうお互いの思いを抑える事ができなかった。
電気を消してクマの視線から逃れ、ベッドに転がり込むと、僕たち2人は同じ行動を起こした。
夏樹の手が僕のパジャマを脱がせ、僕の手が夏樹のパジャマを脱がせる。
彼の大事なものが硬くなっている事を知った時、僕はすごく興奮した。
「気持ちいい……」
「僕も」
夏樹の手が僕を愛撫し、僕の手が夏樹を愛撫する。
お互いの興奮度が上昇していくのと同時に、2人の手が一斉にしっとりと濡れ始めた。
僕たちはきっと一緒に天国へ行く事ができる。この時は2人ともその事が分かっていたはずだ。
「もう出る」
心の中でそう叫んだ時、僕の手の中に突然熱いものが溢れ出した。それと同時に夏樹の手の中にも熱いものが溢れ出したはずだ。
僕たちは、本当にそっくりな双子だった。
翌日。朝の光を感じて目が覚めた時、目覚まし時計の針は7時15分をさしていた。
その朝は、いつもより近くに夏樹がいた。彼は僕の胸に顔を埋めてスースーと眠っていた。その顔は口が半開きで、とても可愛かった。 彼の前髪が胸に触れると、少しだけくすぐったかった。
僕と夏樹は裸で寝ていた。僕らのパジャマは白い床の上に投げ出されていた。
一応念のためだ。僕はそう思ってシーツが濡れていないかどうかを探ってみた。すると夏樹の腰の下が、生温かく濡れているのを感じた。
夏樹はその時まだ自分がオネショした事に気づかず、涼しい顔をして眠っていた。
どうしよう。困ったな。
僕は彼の可愛い寝顔を見つめながら頭を悩ませていた。
今、シーツの上には地図が1つしかない。彼が目覚めてその事に気づいたら、夏樹はまた泣いてしまうに違いない。
僕たちはいったいどうしてすれ違ってしまったんだろう。 ずっとずっと一緒にオネショをし続けてきたんだから、オネショが止まるのも2人一緒だと信じていたのに。
夏樹のまつ毛はすごく長かった。目のあたりに朝日が当たって、まつ毛の影ができていた。
僕はそれからしばらく可愛い夏樹に見とれていた。すると、突然その考えが頭に閃いたのだった。
夏樹がオネショすると、僕もオネショする。夏樹のオネショが止まれば、僕のオネショも止まる。そうすれば、彼はきっと安心する。
そして僕は簡単な事に気が付いた。夏樹がオネショした時は、僕もオネショをしてしまえばいいんだ。
それは、お腹に少し力を入れれば済む事だった。僕は夏樹の寝顔を見ながらすぐにオネショを開始した。 すると掛け布団の下でジョーッと曇った音がした。
やがて目を覚ました夏樹は、いつものようにこう言うだろう。
「オネショしちゃった」
そしてその時、僕はこう答える。
「僕も」
この習慣は、きっとこれからも変わらない。
END