キスの魔法
誰にも内緒だが、俺と虎太郎は両思いだ。中2の冬に付き合い始めて、もう半年が過ぎた。虎太郎はクラスで1番小柄で、すごくかわいい。本人は背が伸びない事を気にしているけれど、そのままで十分素敵だ。
俺達の関係は誰にも内緒だから、学校では普通の友達関係を演じている。そんな2人が恋人同士として振る舞えるのは、放課後になってからだった。
学校が終わると、虎太郎は毎日俺の家に遊びに来る。そして俺達は、狭い部屋の中でやっと2人きりになれるのだった。
俺の部屋は本当に狭くて、窓際はベッドが占領している。 その奥には学習机が置いてあるが、ギリギリまで椅子を引かないと、ベッドにぶつかって座るのも困難だった。
けれど虎太郎は、そんな部屋をとても気に入ってくれていた。僅かしかない貴重な床に座ると、必然的に俺に引っ付く事ができるからだ。
ゲームをする時も、お喋りする時も、彼は俺に引っ付いて離れない。
そろそろ気温が上がってきているから、延々と背中に抱き付かれると辛い時もある。でもそれ以上に、体に感じる彼の温もりを愛していた。
「寂しかった。先生の話が長くて、帰りのホームルームがなかなか終わらないんだもん」
虎太郎は口を尖らせて文句を言いながら、俺の腕をつかむ手にぎゅっと力を入れた。
今日は帰りがけに担任が突然修学旅行の話を始めてしまい、しかもその話が長くて、俺の家へ来る時間が遅くなってしまったのだった。
「早く2人きりになりたかった?」
そんなふうに聞くと、虎太郎は白い歯を覗かせてにっこり微笑んだ。
「うん。まーちゃんの事好きだもん」
「俺も虎太郎が大好きだよ」
赤く染まった頬をつねってやると、彼は俺の膝の上に移動してきて、小さなおでこを肩に乗せた。
両手で強く抱き寄せたら、細い体が壊れてしまいそうな気がした。
そのまましばらく虎太郎は動かなかった。少し開けた窓から弱い風が入ってきて、時々髪が揺れるだけだった。
俺は彼が眠ってしまったのかと思った。虎太郎は日頃からわりとお喋りだ。そんな彼が長い間じっとして黙っている事は、とても珍しかった。
「虎太郎、寝ちゃった?」
小さな声で問いかけると、虎太郎はおでこを肩に置いたままで首を振った。どうも様子がおかしいと本気で思い始めた頃、彼は静かに重い口を開いた。
「あのね、僕……どうしてもオネショしちゃうの」
突然の告白に驚いた。虎太郎は普段から素直でなんでも包み隠さず話す人だったが、そんな事を言い出すのは初めてだった。
「すごく恥ずかしいけど、まーちゃんに隠し事するのは嫌だったんだ」
本当に恥ずかしいようで、虎太郎はずっと顔を上げなかった。
「それでも僕の事、好きでいてくれる?」
彼の両手が、僅かに震えているのが分かった。
虎太郎は俺に嫌われる事を心配しているようだったが、その時俺はすごく感動していた。 本当は黙っていても良かったはずなのに、重大な秘密を打ち明けてくれた事が、嬉しくてたまらなかったんだ。
それは俺を信頼している証拠に思えた。だからこそ、感動的に嬉しかったのだった。
俺は虎太郎を抱き寄せ、短い言葉でその思いを伝えた。
「話してくれてありがとう。何があっても好きだよ」
「本当?」
「俺を疑うの? ねぇ、顔上げて」
そう言って促すと、彼は恐る恐る顔を上げ、大きな目で俺の目を見つめた。もう一度真っ赤に染まった頬をつねってやると、安心したように少し微笑んだ。
それにしても、なぜ突然そんな事を言い出したのか。その理由を、彼はすぐに打ち明けてくれた。
11月に出発する修学旅行に、彼は大きな不安を感じていたようだ。
旅行の日程は3泊4日。つまりは3日間も皆で夜を過ごす事になる。その時オネショをしてしまう事に、ひどく怯えている様子だった。たしかに自分がその立場なら、同じように不安になるかもしれないと思った。
「僕、修学旅行へ行けるかな?」
「どうして? 絶対行くだろ?」
「オネショが治らなかったら、ママが行かせてくれないと思う」
「え? そうなのか?」
悲しげに語る虎太郎の言葉に、少なからずショックを受けた。修学旅行はずっと楽しみにしていたのに、虎太郎が来ないなら楽しめるはずがないからだ。
これは虎太郎だけではなく、俺にとっても一大事だった。
俺は彼としっかり顔を突き合わせ、自信を持って言ってやった。
「大丈夫だ。お前は必ずオネショを克服するよ」
「本当に?」
「俺がお前に嘘ついた事あるか?」
「ないよ」
「だったら俺を信じろ。大丈夫だ。オネショはすぐに治るから」
それはまったく根拠のない自信ではあったが、とにかく彼には絶対にやれるという自信を持たせなきゃいけないと、その時の俺は思っていた。 それに修学旅行の出発はまだ先の事だったから、それまでにはなんとかなるだろうという楽観的な思いも少しはあった。
虎太郎は最初は不安げにしていたけれど、俺が励ましの言葉を重ねるたびに、少しずつ元気を取り戻していった。 それは徐々に和らいでいく表情を見ていれば、すぐに分かる事だった。
「分かった。まーちゃんの言う事を信じるよ」
彼は吹っ切れたように笑ってくれた。大きな目を光らせ、頬をきゅっと上げて、俺だけに微笑んでくれた。
悲しい顔なんか似合わない。虎太郎は、笑っている時が1番かわいいんだ。
「オネショを克服したら、ご褒美にキスしてあげるよ」
その時の勢いで、そんな約束をしてしまった。虎太郎は恥じらいながらも喜んでいたが、後々俺はそれを後悔する事になる。
夏の終わりが近付いても、虎太郎のオネショは治らなかった。
俺は朝一緒に学校へ行くために、いつもコンビニの前で虎太郎を待っていた。朝のコンビニは客の出入りが激しく、ひっきりなしに人がやってくる。
やがて目の前を行き交う人々の向こうから、虎太郎の姿が見えてきた。袖が長すぎる学ランを着て、紺色の鞄を右手に持ち、彼はゆっくりと歩いて来るのだった。
もうその頃になると、朝の姿を見るだけで今日もダメだったという事が分かるようになっていた。ため息をつきながら歩くその顔には、「今日もオネショをしました」とはっきり書いてあった。
俺達の放課後の日課は、ずっと変わっていなかった。
虎太郎と2人で、狭い部屋でイチャイチャする。それは相変わらず楽しくて、俺は彼を愛しく感じていた。
「まーちゃん、好き」
そう言って引っ付いてくる彼はとてもかわいい。背が1センチ伸びて喜ぶ彼も、同じようにかわいい。
ある雨の日の夕方。
俺達はノートパソコンを床の上に置いて、古い映画を見ていた。
屋根を叩き付ける雨の音は、時間が経つにつれて次第に大きくなっていった。
虎太郎はずっと俺に寄り添い、真剣に映画を見ていた。俺はそんな彼が気になって、映画よりも虎太郎ばかりを見つめるようになっていった。
「オネショを克服したら、ご褒美にキスしてあげるよ」
数か月前にそう言った時から、今まで以上に彼の事を意識するようになった。
それまではこうして一緒にいるだけで満足だったのに、今は虎太郎にキスをしたくてたまらない。小ぶりな桜色の唇に自分の唇を重ねる事を、俺は何度も夢見ていた。
虎太郎は俺に隠し事をしたくないと言ったが、俺には彼に話していない事がたくさんあった。
毎晩映画やドラマのキスシーンを見て、キスのイメージトレーニングを重ねている事。 その間に虎太郎とのキスを夢見て興奮し、マスターベーションを始めてしまう事。
そんな事は、恥ずかしすぎて絶対に言えない。
俺が隠し事をしていると知ったら、彼は悲しむだろうか。それとも、優しく笑って許してくれるのだろうか。
「どうしたの? 映画つまらない?」
ずっと彼に見とれていたら、俺の視線に気付いてそう言われた。息を感じる距離で上目使いに見つめられると、あまりにもドキドキして何も言えなくなってしまう。
キスしたい。
強くそう思っても、今はまだ我慢するしかない。
こんな気持ちになるなら、あんな約束をしなければ良かった。
淡々と日々は流れ、修学旅行の出発日まであと1か月となった。その時期になっても、まだ朗報は届かなかった。
俺はその頃、もうオネショの話題は避けるようになっていた。 虎太郎に変にプレッシャーをかけるのも嫌だったし、彼も同じようにその話を避けていたからだ。
学校では友達の間で、修学旅行の話が盛んに行われるようになっていた。 泊まる部屋のグループ分けをどうするかとか、皆で夜に何をして遊ぶかとか、そんな話題が尽きなかった。
だけど俺達2人はその話には入らず、2人きりになっても修学旅行の話はしなかった。
放課後になると狭い部屋でゲームをしたり、お喋りしたりするのは変わらない。でも以前とは、何かが少し違っていた。
その日は学校の帰りにジュースを1本だけ買ってから、いつものように俺の部屋で虎太郎と過ごしていた。
最新のゲームをプレイして熱くなり、それから少し漫画の本を読んで、それに飽きると虎太郎のお喋りが始まろうとしていた。
「ねぇ、ジュース飲もうよ」
そう言って彼がペットボトルを開けた。そして中身を一口飲んだ後、それを俺に手渡した。
「温くなっちゃったけど、美味しいよ。あとはまーちゃんにあげる」
こんな時は、ちょっとだけ嬉しくなる。本物のキスは無理でも、間接キスならこうしてできる。
虎太郎は俺の右手を両手で握りしめた。彼はこうして俺に触れていないと、不安になるようだった。
「昨日の夜ね、僕の家の庭に犬が迷い込んで来たんだ。すごくかわいい犬だったから抱っこしたいと思ったんだけど、すばしっこいからなかなか捕まえられなくて、走り回ってるうちに疲れちゃった。その後飼い主の人が犬を探しに来て、無事に連れて帰ったんだよ」
「へぇ。どんな犬だったの?」
「小さくて真っ白な犬。種類は分からない。毛がフサフサで、かわいかったよ」
「小さくて真っ白な犬か。じゃあ虎太郎みたいな犬だね」
そう言ってやると、彼は嬉しそうに笑って俺の手を更に強く握った。それはよくある事だったが、その日は力が強すぎて、少し手が痛かった。
秋の日差しが虎太郎の髪を光らせていた。最近少し髪を切って、彼はますますかわいくなった。
色白な彼は夏の間に日焼けをしたが、頬はもう元の色に戻っていた。
キスしたい。
じっと見つめ合っていると、もう我慢ができなくなりそうだった。だから俺は気を紛らわすために、慌ててペットボトルの中身を胃の中へ流し込んだ。
「ママが、犬を飼ってもいいって言ってくれたんだ」
彼がそう言うのを聞いて、俺はとても意外に思った。虎太郎は前から犬を欲しがっていたが、両親に反対されていると聞いた事があったからだ。
「修学旅行に行けなくてかわいそうだから、犬を飼ってもいいって言ってくれたんだ」
その時俺は、昨夜の迷い犬の話がプロローグに過ぎない事を知った。
彼は修学旅行へは行けない。
虎太郎が本当に俺に伝えたかったのは、その話だったんだ。
「犬を飼ったら、まーちゃんが名前を付けて」
彼はとても明るく、笑顔を絶やさずにそう続けた。だけど俺は、犬の名前を考える気なんかさらさらなかった。
「修学旅行に行かないって、どういう事だよ」
「……分かってるくせに」
「分かってないよ! そんな大事な事、どうして勝手に決めちゃうんだ? 俺に一言の相談もなく、どうして勝手に決めるんだよ! 俺との約束はどうするつもりなんだ?」
自分でも驚くほどの、強い口調だった。飲みかけのペットボトルをドン、と床に置くと、その勢いで中のジュースが飛び散った。
虎太郎は怯えたような目で俺を見つめていた。右手を強く握った彼の手に、汗が滲んでいるのが分かった。
「まだ時間はあるだろ? 諦めるなよ。絶対に大丈夫だから」
「でも、ママが……」
「ママと俺とどっちを信じるんだ? 俺が信じられないなら、もう帰れ。二度とここへは来るなよ!」
そして俺は、初めて彼の手を振りほどいた。
解放された右手には、虎太郎の汗が付いていた。そして強く握られた痛みも、しっかりと残っていた。
2人の間に、気まずい沈黙が流れた。夕暮れが近付いて、赤い夕日が部屋の中を照らしていた。
少し言い過ぎた。俺にはそれがよく分かっていた。だけど感情のコントロールが効かなくて、すぐには落ち着く事ができなかった。
俺は毎日朗報を待ち続け、キスしたいのをずっとずっと我慢してきた。 そんな事ができたのは、彼が必ずオネショを克服すると信じていたからだ。
もしもそれがうまくいかない時には、俺にだって考えがあった。虎太郎が修学旅行に行かないなら、俺も同じように欠席するつもりでいたんだ。
でもその結論を出すのはまだ早い。それなのに彼が勝手に結論を出そうとしている事に、すごく腹が立った。
それでも少しずつ頭が冷え始めると、自分のした事への後悔がつのってくる。
1番辛かったのは虎太郎だ。ここへ至るまでには、相当悩んだに違いない。
その過程を、彼は一切話さなかった。なんでも包み隠さず話す人なのに、それだけは俺にも話せなかったんだ。
彼は自分の出した結論を、いつ切り出すかずっと考えていただろう。俺がすぐには納得しない事も、きっと分かっていたはずだ。
それでも精一杯明るく振る舞って、かなりの勇気を振り絞って、きちんと話そうとしてくれた。 よく考えれば分かる事なのに、俺はその努力を台無しにしてしまったんだ。
深呼吸をしてから、となりで動けずにいる虎太郎を見つめた。
さっき振りほどいた小さな手が、行き場を失って膝の上に置かれていた。その手には、ポタポタと涙の雫が降り注がれていた。
それを見た時、胸にナイフを突き刺されたような痛みが走った。
彼を怒鳴りつけたのも、泣かせてしまったのも、これが初めての事だった。
「ごめん」
今度は俺の方から、その手を強く握った。 すると温かい涙が次々と俺の手を濡らし、それはやがて冷たい水に変わっていった。
虎太郎は、声もたてずに泣いていた。 いつもならぎゅっと手を握り返してくれそうなのに、小さな手は力なく膝に置かれたままだった。
「泣かないで。ごめん。謝るよ」
虎太郎は黙って首を振ったが、手に力は感じられなかったし、泣くのをやめる事もなかった。
俺はその時、心から深く反省していた。彼にはまったく罪がない。悪いのは俺の方だ。
虎太郎が修学旅行へ行くのを諦める事は、俺とのキスを諦めるのと同じに思えた。 俺は今まで我慢を続けてきた事のイライラを、彼にぶつけてしまっただけだった。
「虎太郎、顔上げて」
優しく呼びかけても、反応がない。こんなのは嫌だ。早く笑顔が見たい。
「頼むよ。こっち向いて」
涙に濡れた手で、強引に彼の顎を持ち上げた。
虎太郎の頬には夕日色の涙が光っていた。両手で頬を拭ってやり、ゆっくり顔を近付けると、彼はそっと目を閉じた。
初めてのキスは、少し切ない味がした。でも柔らかな唇の感触は想像通りだった。
それまで何度もイメージトレーニングを重ねてきたのに、その通りにできたかどうかはよく分からなかった。
短いキスを終えて2人の唇が離れると、虎太郎は少し恥ずかしそうに微笑んで、いつものように抱き付いてきた。
「まーちゃん、好き」
掠れた声でそう言われた時、泣きそうになった事は彼には内緒にしておこうと思った。
俺は再び深呼吸をして、虎太郎を抱き寄せながら語りかけた。
「犬を飼うのは、もう少し待て」
「……うん」
それっきり彼は何も言わなかった。髪を少し撫でてやると、クスッと耳元で笑っただけだった。
明日は絶対大丈夫だ。明日虎太郎はオネショをしない。
俺はその言葉を心の中で何度も繰り返した。それはそうなる事を本気で信じていたからだ。
彼に俺を信じろと言うのなら、俺も彼を信じようと思ったんだ。
翌朝俺は、いつものようにコンビニの前で虎太郎が来るのを待っていた。
朝のコンビニは相変わらず客の出入りが多く、駐車場も常にいっぱいだった。
朝の日差しがまぶしくて、少しだけ目を細めながら通りを眺めた。
もうすぐきっと、虎太郎がやって来る。
昨日あんな事があったから、今朝は少し気恥ずかしい。
彼はどんな顔をしてやって来るだろう。キスをした翌朝の彼は、どんなふうに変わるのだろう。
俺はぼんやりとそんな事を考えながら、いつもの朝の光景に混じっていた。
すると、普段より早く虎太郎が現れた。コンビニを行き交う人々の向こうから、彼が走ってやって来る。
その顔は、いつもと全然違っていた。髪を振り乱して走り、飛びっきりの明るい笑顔を携えて、俺の元へやってきた。
今日こそ朗報が聞ける。彼の様子から、俺はそれを確信していた。
「おはよう、まーちゃん」
虎太郎は、息を切らしながら朝の挨拶を口にした。その様子がかわいくて、思わず抱きしめたくなってしまう。
それから彼は、興奮気味に言葉を続けた。
「僕、今日オネショしなかったよ!」
周りにたくさん人がいるというのに、それは随分大きな声だった。
興奮しすぎて、周りが見えていないんだ。でもその気持ちはよく分かる。それを聞いて、俺も同じように興奮したから。
「ねぇ、キスして!」
それはさすがにやばいだろうと思い、俺は辺りを見回した。幸いにも周囲の人々は俺達には目もくれず、忙しそうにコンビニを出入りしているだけだった。
「バカな事言うなよ。行くぞ」
頬が熱くなるのを感じながら、彼を置いてスタスタと歩き出した。早く朝の風が吹いて、頬の熱を冷ましてくれる事を俺は願った。
「待ってよ! 約束したのに!」
置いてけぼりを食らった虎太郎が、急いで追いかけてくる気配を感じた。
でもキスは、放課後までお預けだ。
虎太郎はその日、当然のように上機嫌だった。
学校ではやたらとはしゃぎ回り、授業中も積極的に発言して、本当に元気過ぎるほど元気だった。
とても嬉しかったのは、友達の間で巻き起こる修学旅行の話に彼が参加した事だった。それは今までにはなかった事で、彼は1日で随分変わった。
放課後になると、いつのもように2人で俺の家へ向かった。
せっかくだから乾杯しようと思って途中でジュースを買おうとしたのに、虎太郎があまりにも急かすから、それは諦めて足早に家へと急いだ。
いつものように玄関で靴を脱ぎ、いつものように廊下を歩いて、いつものように狭い部屋へと向かう。
やっと部屋に入って鞄を投げ捨て、座って落ち着こうと思ったら、虎太郎がすぐに抱き付いてきた。
「まーちゃん、好き」
虎太郎が俺を見上げて、目を閉じる。こんなふうにキスをねだられるのは、決して嫌いではない。
2度目のキスは、最初の時より上手にできた。今度のはすごく気持ちがよくて、長い間唇を重ねていられた。
彼を抱き寄せてキスをしている時に、気付いた事がある。虎太郎はまた背が伸びた。それに、以前より骨格がしっかりしてきたような気がする。
息が苦しくなって、俺達の唇は離れた。赤く染まった頬をつねってやると、彼はすべての体重を俺に預けて圧し掛かってきた。
その勢いで、俺はベッドに押し倒された。昨日までオネショして泣いていた虎太郎が、こんな事をするとは夢にも思わなかった。
ベッドは日差しで温められていた。虎太郎がいつものように俺の手を握ると、力が強すぎてやっぱり少し痛かった。
同じ枕に頭を乗せて、日差しの温もりに包まれながら、そっと寄り添う。俺達の放課後は、そんなふうに変わっていくのだろうか。
「まーちゃんのキスは、魔法のキスだね。オネショを治してくれたもん」
虎太郎は、そんなかわいい事を言ってくれた。でもきっと、それは違う。オネショが止まったのは、彼が成長した証だ。 だけどそう思わせておいた方が、こっちにとっては好都合だった。
「これから毎日キスしてね。そうしないと、またオネショしちゃいそう」
そう言って笑う虎太郎は、やっぱりとてもかわいい。だから俺は、彼にこう言ってやった。
「もうオネショをしたくなかったら、一生俺の側にいろ」
虎太郎は笑わなかった。ただしばらくぼんやりと宙を見つめてから、俺の肩におでこを置いて、ゆっくりと目を閉じた。
「抱いて」
その大人びた声色に、ゾクゾクするほど興奮した。
こんな事ならキスだけではなく、そっちの方もイメージトレーニングをしておけばよかった。
END