僕には分からない
早田くんの部屋は殺風景だった。部屋の隅にはローボードがあって、その上には小型のテレビが乗っかっている。
だけどそれ以外は何もない。 窓の外から春風が入ってきて、時々薄いカーテンが揺れているだけだ。
今日は学校帰りに彼の家へ誘われ、僕たちはしばらくここでお喋りをしていた。
でも早田くんは、いつの間にか眠りに堕ちてしまった。 クッションを枕にして、仰向けになって、スースーと寝息をたて始めたのだ。
僕は冷たい床に腰かけて、しばらくその寝姿を眺めていた。
早田くんは大人びた少年だ。もう声変わりをしているし、身長は170センチ近くある。 チビで童顔な僕とは正反対で、とても同じ中学1年生とは思えない。
外の風を顔に受けると、長い前髪が早田くんの鼻をくすぐった。 すると彼は、右手の指でいたずらな髪をそっと払い除け、鼻の頭を2〜3度掻いた。
それでもまったく目を覚ます様子はなかったので、その仕草は無意識に行われたものなのだろう。
長い足は膝が折れ曲がり、両腕は脱力して床の上に投げ出されている。 学ランを着たままの寝姿は、少し窮屈そうに見えなくもない。
高い鼻が頬に小さく影を作っているのが、その時はすごく印象的だった。
さっきまでは透明だった日差しが、今は茜色に染まっている。
時間と共に変化したのは、決して光の色だけではなかった。
フローリングの床の上に水たまりができたのは、ほんの30秒ほど前の事だ。
早田くんのズボンには、不自然なシミが付いてしまっている。 それは股間の付近に大きく広がっていて、折り曲げた膝の下に水たまりがあるのだ。
彼はたった今、この部屋でオネショをしてしまったのだった。そして僕は、その一部始終を目撃した唯一の人間だった。
静かな部屋にシャーッと高らかな音が響いた時、最初はすごく驚いた。
早田くんの股間が濡れ、そこから水が漏れ出して、酸っぱい匂いが鼻の粘膜を刺激した。
おしっこの勢いは凄まじく、初めのうちは少し上の方に向かって水が飛び出していた。 やがてそれがどんどん床に流れ落ち、最終的に大きな水たまりとなったのだ。
でも早田くんは、それには気付かずまだ眠っている。
この現象はたまたま起こったものなのか、それとも彼にとっては日常茶飯事なのか。
それは僕には分からない。
1人で外へ出ると、すごくほっとした。
僕は早田くんの事が好きだ。だからこそ、黙って静かに部屋を去ったのだ。
それから、夕日を見つめてゆっくりと歩き始めた。乾いた道路は埃っぽいけど、春風はとても気持ちがいい。
本当はすぐに彼を起こして、オネショの後始末をしてあげたかった。 びっしょり濡れたパンツを脱がせ、床の水たまりを拭き取って、できれば着替えの手伝いもしたかった。
でもそれは、やめて正解だったと思う。
人前でオネショした事が分かったら、早田くんはきっと恥ずかしい思いをする。 好きな人に恥をかかせるような事は、僕には到底できなかった。
とにかく今日は、何も見なかった事にしよう。
早田くんはそのうち静かな部屋で目を覚ます。 するとその瞬間に、自分がオネショをしたと気付くはずだ。
その時僕は、そばにはいない。彼はその事にほっとすると思うけど、恐らく一晩中僕の事を考え続けるだろう。
『もしかして、あいつにオネショしたところを見られただろうか』
『あいつはそれに驚いて、走って家に帰ったんだろうか』
もうそれだけで十分だ。 早田くんが一晩僕の事だけを思い続けてくれるなら、もうそれで本当に満足なのだ。
明日の朝、早田くんは緊張の面持ちで僕に言う。真っ赤な目をして、きっと言う。
「お前、昨日いつ帰った?」
その時僕は、思わせぶりに一拍置く。それからすぐに、何も知らないフリをしてこう言えばいい。
「早田くんが寝ちゃった後、すぐに帰ったよ」
オネショしたのがバレていない事を覚ると、彼はほっと胸を撫で下ろすだろう。 それからにっこり微笑んで、無意識に鼻の頭を掻くかもしれない。
もうそれだけで十分だ。彼が明るい笑顔を見せてくれれば、僕は本当に満足なのだ。
END